ああ、いそがしい、いそがしい2006年03月10日 11:48

あまり遠くない日のことです。停年を前に控えた知りあいに「停年になったら暇になるので、どのようにして過ごそうかしら?」といわれ、やることはいっぱいあるよと答えたことがありました。

私は、昨日は昨日で文化センターへ来期の「世界美術紀行(~北イタリア・南フランス~)」を申込に。郊外の植物公園を訪れ、帰宅すれば家事をそっちのけでパソコンを立ち上げ、ブログへ書き込み、デジカメの写真を画像処理して載せる。

美術館へ、イベントへ、デパートのウインドーショッピングなど。本屋に行けば欲しくなり何冊か購入して帰る。本は益々増えて「積ん読」状態です。

春になり出歩くことが多くなり、忙しさは倍増です。 さらに追い打ちをかけるように、4月からの旅行のチラシが山と積まれる。ああ、どこかに行きたいなとネットナビする。計画も立てる。

それからバルト3ヶ国の失った写真の穴埋めに、絵はがきでもスキャナで取ってHPに反映させたいと思いながら、いずれも中途半端で不完全燃焼。

ああ、いそがしい、ああいそがしい。 そう日常の家事もたんとありますから。

『外国語話せる』2006年03月12日 11:21

『「外国語話せる」EU調査で65%』という記事を読み、デンマークでの体験を思い出しました。

デンマークで若い日本女性と出合いました。そして、しばらく彼女と一緒にあちこちと観光をして歩きました。彼女は新潟出身でアメリカで高校生活を送ったそうです。その彼女からこんな話を聞いたのです。

彼女の旅の途中、その国の中年男性と英語でいろいろ話をしたそうです。「なぜそんなに英語が話せるのですか?」と質問したところ、「この国はあなたのような大国ではありません、外国語を話せないと国の発展はないのですよ」との答えが返ってきたそうです。

『欧州委員会が2月、そんな結果を発表した。・中略・最も高いのはルクセンブルク(99%)で、スロバキア(97%)、ラトビア(95%)が続いた。』

国も小さく経済力も小さいほど、そのような傾向があるのだなと実感しました。

『』内は3月11日づけ朝日新聞より引用。

パティオに舞う雪2006年03月13日 15:46

今日は冬に舞い戻り震え上がりました。あまりの寒さにスポーツセンターへ行くのをためらったのですが、思い切って行ってみました。

センターは思ったより多くの人で混んでいて、運動器具の待ち時間もありました。そんなことで地下にあるこのルームに面した中庭から四角に区切られた空を見上げると、光が射しきらきら、ふわふわと白い雪が舞い降りてきました。

よくよく観察してみると、雪は大小様々なのです。小さいのは地下に降りないままで消え失せてしまい、ちょっと大きめのは勢いよく、すうっと急降下して地下の植え込みまで届いていました。 私は小片は早く、大片は風にあおられてゆっくりと降りてくるものと考えていたのでした。

お天気なのにちらちらと雪が舞う。こんな日も珍しいことでしょう。

ちなみにパティオとは、スペインなどでよく見られる、周囲を土塀で囲まれた家の中庭のことです。

え?これくらいで腱鞘炎!2006年03月15日 11:10

先週金曜日に、突然右腕内側の関節部分が痛み出しました。家事をするにも支障があるくらいなのです。それでもある方向では痛みを感じないのでいつか治るだろうと高をくくっていました。

なんで?どうして?と考えても思い当たるふしはありません。やっと思い出したのが、先週行った窓ふきなのでした。

今までそれ以上に拭き掃除しても何ともならなかったのにと。私も年を取ったものだと、嘆くやら悔しいやらと腹立たしく思っていました。

そして昨日、午前中パソコンでネットサーフィンしたり、いろいろ作業をしたりしました。すると目はしょぼしょぼしてくる、肩こりがひどくなるで、思い切って午後のパソコンいじりは中止して、MOを買いに電気店へ行きました。

そして店員さんの一言で思い当たったのです。「マウスを使っていますか?」「ええ」と私。「意外と腱鞘炎になるのですよ」と店員さん。 そう言われてみれば、少し前からパソコンいじりを長時間しているなと。 そこでマウスが犯人であったことが判明したのです。

そして、店員さんおすすめの「ディンプゲル・パッド(500円)」も購入して帰りました。

いずれにしても加齢のせいでしょうかしらね。トホホ。

物売り2006年03月15日 12:00

これはまだ戦争が激しくなる前、のどかな頃のことです。

小さな借家の我が家は、小さな谷川に沿って下り、町(小さな集落)に行く道路と、民家が並ぶ横道に挟まれた場所にありました。その通りを自転車に引き出しが何段かついた箱を載せて、煮豆売りのおじさんがやってきていました。

お酒の飲めない父は殊の外豆類が大好きで、当然私も大好きなその煮豆を母が買ってくれるのが楽しみでした。

豆腐屋のおじさんもきていたのでしょうけれど、記憶には残されていません。なにかと物売りがやってきては、おばさん達がワイワイと立ち話をしながら買う姿を思い出します。

そのころは、ゆっくりと時が流れていたように思います。