MRIその3 ― 2017年11月06日 17:39
肩関節の炎症が治まらず、今日も300㍉水を抜きました。
先生は「半々に減っていく事が望ましいけれど、つい痛みが軽減すると動かすからね」と。
太い針を突き刺され、絞るように抜き取る痛さをこらえて300㍉。
辛いです。
このまま、水が溜まり続けると、手術をちらつかせた先生。
今日はとても気分が落ち込みました。
先生は「半々に減っていく事が望ましいけれど、つい痛みが軽減すると動かすからね」と。
太い針を突き刺され、絞るように抜き取る痛さをこらえて300㍉。
辛いです。
このまま、水が溜まり続けると、手術をちらつかせた先生。
今日はとても気分が落ち込みました。
ジョウビタキ再来 ― 2017年11月06日 17:44
今年ジョウビタキの鳴き声を聞かないな~ぁと、思っていいた矢先、いつもより遅く、10月下旬頃から、鳴き声を耳にするようになりました。
鳴き声がはっきり聞こえるときは、お隣さんのアンテナに止まって鳴いています。
色々場所を変えては、縄張りを見張っているのでしょう。
姿も再々見ています。
鳴き声がはっきり聞こえるときは、お隣さんのアンテナに止まって鳴いています。
色々場所を変えては、縄張りを見張っているのでしょう。
姿も再々見ています。
マリンバコンサート・余話 ― 2017年11月06日 22:00
私が木琴の演奏を初めて聴いたのは、有名な木琴奏者平岡養一さんです。
戦後間もない昭和22年か23年。
はっきりした記憶は薄れたけれど、疎開先の田舎の小学校で演奏会がありました。
戦後間もない頃のこと、殺伐とした時代に皆が素晴らしい音楽に触れたい思いだったのでしょう。
多くの人が詰めかけ、熱心に鑑賞しました。
勿論、高名な演奏家という触れ込みもありました。
どんな曲が演奏されたのか、曲名は覚えていませんが、あの熱気は今なお 、記憶に残っています。
そして、今回2度目のマリンバ(木琴)鑑賞でした。
戦後間もない昭和22年か23年。
はっきりした記憶は薄れたけれど、疎開先の田舎の小学校で演奏会がありました。
戦後間もない頃のこと、殺伐とした時代に皆が素晴らしい音楽に触れたい思いだったのでしょう。
多くの人が詰めかけ、熱心に鑑賞しました。
勿論、高名な演奏家という触れ込みもありました。
どんな曲が演奏されたのか、曲名は覚えていませんが、あの熱気は今なお 、記憶に残っています。
そして、今回2度目のマリンバ(木琴)鑑賞でした。
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