“春になると、、、” ― 2012年03月04日 10:18
草木も芽吹いてくる春。私も旅をしたいなと思うこの頃です。
そんな気持を察したかのように、パフレットが届きました。
海外は卒業と思っていたのに、海外満載。
「そうだ、もう一度ここへ行ってみよう」
「まだ南米に足を下ろしていない、イグアスの滝、ナスカの地上絵、マチュピチュへ行こう」。
と、まあ、こんな風に夢はふくらむばかり。
早速、旅行会社へ相談に行ってみました。
南米は高額な費用に加えて、ひとり参加でのプラスがまた桁違い。さすが当初の勢いもしぼんできました。
でも、まだまだ気持は十分残っているけれど、、、。
そんな気持を察したかのように、パフレットが届きました。
海外は卒業と思っていたのに、海外満載。
「そうだ、もう一度ここへ行ってみよう」
「まだ南米に足を下ろしていない、イグアスの滝、ナスカの地上絵、マチュピチュへ行こう」。
と、まあ、こんな風に夢はふくらむばかり。
早速、旅行会社へ相談に行ってみました。
南米は高額な費用に加えて、ひとり参加でのプラスがまた桁違い。さすが当初の勢いもしぼんできました。
でも、まだまだ気持は十分残っているけれど、、、。
“トラムで化粧する女”その1 ― 2012年03月06日 11:10
雨の日にトラムに乗り込むと、通路を倒れた傘が塞いでいるので持ち主に起こして貰いました。
ふと、傘の持ち主の彼女に目をやると、手鏡を片手に睫(まつげ)を取り付ける作業に懸命でした。人目をはばからず化粧に余念がありません。
前に座ったあきれ顔の中年女性ふたりは、ひそひそと小声でささやき合っていています。そうかと思えば、素知らぬ顔をしている人。
反応は人様々でした。
私は彼女の姿勢を観察しました。
隣に荷物を置いて、ふたり分の座席を占領、背はのけぞって片足を組み、通路を半分占領。傘はそのうち倒れて再び通路に。
私が下車する時も化粧は終わらず、傘は倒れたまま。
傘を引き寄せるように、ひとこと注意をして下りました。
恥ずかしくないのかな?
公共の場をなんと考えているのでしょうね。
私には理解できません。
ふと、傘の持ち主の彼女に目をやると、手鏡を片手に睫(まつげ)を取り付ける作業に懸命でした。人目をはばからず化粧に余念がありません。
前に座ったあきれ顔の中年女性ふたりは、ひそひそと小声でささやき合っていています。そうかと思えば、素知らぬ顔をしている人。
反応は人様々でした。
私は彼女の姿勢を観察しました。
隣に荷物を置いて、ふたり分の座席を占領、背はのけぞって片足を組み、通路を半分占領。傘はそのうち倒れて再び通路に。
私が下車する時も化粧は終わらず、傘は倒れたまま。
傘を引き寄せるように、ひとこと注意をして下りました。
恥ずかしくないのかな?
公共の場をなんと考えているのでしょうね。
私には理解できません。
「痛っ!ケロリ」 ― 2012年03月07日 16:52
今日、皮膚科で魚の目を除去してもらいました。
今年購入した靴と中敷きが巧く折り合わないのか、みるみるうちに魚の目が育ち、その痛いこと痛いこと。
昨日は、針のむしろの上を歩いているようで、全身に疲れがでてきました。
先生は麻酔もないまま、メスを2回取り替えて、深い根っこを取り除いて下さったのです。
もう、その痛いこと、痛いこと、目をつむり、じっと我慢して踏ん張りました。終わると額に汗をかいていました。
術後は靴を履いても痛くも痒くもなく、それこそ「ケロリ」と治りました。
今年購入した靴と中敷きが巧く折り合わないのか、みるみるうちに魚の目が育ち、その痛いこと痛いこと。
昨日は、針のむしろの上を歩いているようで、全身に疲れがでてきました。
先生は麻酔もないまま、メスを2回取り替えて、深い根っこを取り除いて下さったのです。
もう、その痛いこと、痛いこと、目をつむり、じっと我慢して踏ん張りました。終わると額に汗をかいていました。
術後は靴を履いても痛くも痒くもなく、それこそ「ケロリ」と治りました。
昭和のお母さん(服装) ― 2012年03月09日 17:06
昭和の始めの頃のお母さんは、明治、大正生まれがほとんどだと思います。
昭和生まれの私たちは、生まれたときから洋服でした。
私が写った赤ちゃんの時、3歳児、それから小学生の時の写真から察すると、洋服育ちだと思います。
それに引き替え、母たちは何を着ていたのかしら?
と、気になっていたところ、昨日古い母の写真を見てようやく分かりました。日常は着物を着ていたようです。
我が家でも「おばあちゃんは着物を着ていたよと」と、孫の長男がいう。
どうやら昭和生まれの私たちは生まれたときから洋服で、母の着物姿に違和感がなく生活していたのだなと思いました。
これで朝ドラ「カーネーション」で疑問を抱いた着物姿に、私なりに決着がつきました。
昭和生まれの私たちは、生まれたときから洋服でした。
私が写った赤ちゃんの時、3歳児、それから小学生の時の写真から察すると、洋服育ちだと思います。
それに引き替え、母たちは何を着ていたのかしら?
と、気になっていたところ、昨日古い母の写真を見てようやく分かりました。日常は着物を着ていたようです。
我が家でも「おばあちゃんは着物を着ていたよと」と、孫の長男がいう。
どうやら昭和生まれの私たちは生まれたときから洋服で、母の着物姿に違和感がなく生活していたのだなと思いました。
これで朝ドラ「カーネーション」で疑問を抱いた着物姿に、私なりに決着がつきました。
再び3.11 ― 2012年03月11日 11:27
NHKスペシャル「原発最前線の街で」を視聴しました。
その中で、白い防護服を着けた若者たちがバスに乗り込み、立ち入り禁止区域内へ消えて行きました。放射性物質で汚染された瓦礫を徐洗する作業だと言うのです。
彼らの姿がいつまでも脳裏を離れず涙を禁じ得ませんでした。
その中で、白い防護服を着けた若者たちがバスに乗り込み、立ち入り禁止区域内へ消えて行きました。放射性物質で汚染された瓦礫を徐洗する作業だと言うのです。
彼らの姿がいつまでも脳裏を離れず涙を禁じ得ませんでした。
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